「和を愉しむ」浅草雷門となりの旅館・和室ホテル-雷門旅館-

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雷門旅館の歴史History

1947年 昭和22年12月

戦後間もないころ 中庭のある木造二階建の
雷門旅館 を創業いたしました。

1960年 昭和35年

松下幸之助氏より雷門が寄贈されました。

1972年 昭和47年

1972年まで浅草には路面電車が走っていました。

1978年 昭和53年

隅田川の花火1733年から始まった両国の川開きの日に水神祭を実施。
その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされています。
戦争など数度の中止と1961年~1977年まで隅田川の水質汚濁のため中断されましたが1978年に「隅田川花火大会」と名をかえて再開されました。

1979年 昭和54年5月

近代的なビルに建て替え ホテル雷門 に名称を変更いたしました。

2010年 平成22年

2010年ころよりお客様の国際化が徐々に進み、
数年後からは大きな割合を占めるようになりました。

2019年 令和元年

2019年 竹山聖氏の設計により美しい和の設えを生かした
地上7階建 和風旅館が落成いたしました。
“和を愉しむ”をコンセプトに創業時の 雷門旅館 に名称をもどし、
和の文化と伝統を重んじて新たな時代へ幕を開けました。

現在、浅草には世界各国より多くの観光客が訪れています。


雷門旅館の生み出す風景

生まれ変わった雷門旅館の誕生のお手伝いをさせていただいて大変嬉しく、そして光栄に思っています。この建築に込めた思いはたくさんあるのですが、いくつかをご紹介させていただきます。

まず色について。雷門は赤と黒と緑です。かつてのホテル雷門は赤でした。新生なった雷門旅館はベージュ色の砂岩に身を包んでいます。雷門のすぐ横にあって、静かな存在感を持ちつつも、背景となってなお長く愛される建物をめざしたからです。自然、は和の心の真髄、雷門旅館のテーマでもあります。大地から掘り出された自然石という存在感ある素材が、浅草寺の歴史的な景観と調和しながら、時の流れに耐える風景を形成してくれることでしょう。
新しい雷門旅館は路傍の緑に導かれるさりげないエントランスでお客様を迎えます。仲見世側の道に面しては、「都市の床の間」と名付けられたディスプレイスペースが設けられ、そこを通して、道ゆく人からエントランスホールの様子が垣間見えます。

大地に近い場所は人々が自由に往来するスペースで都市の賑わいを呼吸しますが、雷門旅館の本体は宙に浮かぶように大地から切り離されて立っています。静寂とプライバシーを守るためです。
一旦中に入ると、さまざまなかたちの窓によって東京の風景が切り取られて行くのが楽しめるでしょう。窓は新鮮な光と風を内部に導いてもくれます。ただ、とても遮音性の高いつくりになっていますので、外部の喧騒を一切シャットアウトし、内部の静寂を保ってくれます。

浅草の伝統的な、そして今や東京の象徴的な都市景観として人気のあるこの場所で、外に対しては風景に溶け込みながら、内には日常とは切れた別世界をたたえる。そんな建築的風景を、この場所に生み出してみたいと考えました。
雷門旅館が、長く愛されて行くことを心から願っています。

建築家竹山 聖

  • 設計
  • 竹山 聖 + 設計組織アモルフSei Takeyama
  • 堂本 雅人Gajin Doumoto
  • 撮影
  • 大道 雪代Yukiyo Daidou
  • 施工
  • 松井建設